担当研究員の思い                

小山 弓弦葉(東京国立博物館 工芸室長)

当館に のこ された記録によれば、重要文化財「 小袖 こそで 白綾地秋草模様 しろあやじあきくさもよう (通称〈 冬木小袖 ふゆきこそで 〉)」は、伝来を示す巻物とともに明治期に東京国立博物館(当時は東京帝室博物館でした)が購入しました。 列品録 れっぴんろく とよばれる古い収蔵品目録によれば、当初は裏地がついておらず表地のみの状態でした。その後、展示ができるように裏地をつけて着物の形に仕立てたのでしょう。
私が初めて〈冬木小袖〉を展示したとき、写真で見るのとはあまりにも異なる いた み具合に 愕然 がくぜん としました。遠目には美しくしっとりとした秋草模様の 描絵小袖 かきえこそで ……ところが、近くで見ると、白い裏地に 並縫 なみぬ いでザクザクと縫いとめられていて、まるで 野良着 のらぎ のようだったからです。この並縫いは、当館が所蔵して以降、きものの形に仕立てられた際になされたものですが、太くて白い糸で広範囲に施され、せっかくの尾形光琳の筆使いが見えません。そればかりか、300年の時を経てすっかり弱っている絹地に、さらに負担をかけています。現状でも展示することは可能ですが、並縫いの糸が表地には強すぎて、このままですと、絹地がますます弱ることは明らかです。
光琳直筆による描絵小袖で完全な形で のこ されているものはこの1領だけです。〈冬木小袖〉を、今後、100年、200年と後世に伝えていくためには、必要な修理を、今、始めなくてはならないのです。

お礼 ~目標金額達成にあたって~
皆様のあたたかいご支援に、心より御礼を申し上げます。 皆様の東京国立博物館に対する愛情、江戸時代の画家・尾形光琳の画業に対する敬意、そして日本の伝統文化である「きもの」への思い、そういったお志をこのような形でお届けくださいましたことに一同胸を熱くしております。
〈冬木小袖〉は、今年の1月に修理工房へ運ばれました。そしてこの春まで解体が行なわれ、どのような修理をするか、その方針が話し合われました。今後は傷んだ表地の補強のための修理、またその表地をさらに補強するための裏打ちの作業などがこの2年間を通して行なわれることになります。 修理は2022年の末に完了し、2023年の公開を予定しています。
美しい姿になった〈冬木小袖〉をお見せすることができるように、関係者一同頑張ってまいりますので、これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

2021年7月5日

〈冬木小袖〉について

重要文化財  小袖 こそで 白綾地秋草模様 しろあやじあきくさもよう   尾形光琳 おがたこうりん 筆 丈147.2cm 裄165.1cm 江戸時代・18世紀前半

本作品は、江戸時代に活躍し琳派の語源としても知られる尾形光琳が白い絹地に秋草を描いたきものです。
京都出身の光琳が、宝永元年(1709)に寄宿した江戸・深川の材木問屋、冬木家の夫人・ダンのために描いたといわれ、そのため〈冬木小袖〉という名称で親しまれています。
墨や淡彩で布地に直接模様を描く染色技法「 描絵 かきえ 」によって、ふたつとないデザインのきものを着用することが、当時裕福な商家の女性たちの間で流行していました。〈冬木小袖〉もこの流行を背景に光琳に依頼されたといわれています。

シンプルな形で描かれた青と白の 桔梗 ききょう の一むら。手描きならではの味わい、
花芯や葉に添えられた 金泥 きんでい にもご注目ください。

菊、萩、 すすき を、バランスよく生き生きと配した、背中部分。
藍と墨の濃淡による表現に黄、赤のぼかしが彩りを添えます。

〈冬木小袖〉には、菊、萩、 桔梗 ききょう すすき といった秋草が描かれています。 あい の濃淡で、上半身には桔梗の花むらが広がり、腰から下には菊や萩が咲き乱れるように描かれています。

また、〈冬木小袖〉全体の様子を見てみると、ちょうど帯の当たる部分に空間を配していることもわかります。光琳の生家はもともと安土桃山時代から続く 雁金屋 かりがねや という呉服商でした。だからこそ、着用したところまでをしっかりとイメージして模様を描いたのでしょう。