なりきり日本美術館で八橋蒔絵螺鈿硯箱を楽しむ
東京国立博物館(トーハク)の本館で開催中の「なりきり日本美術館リターンズ」。
ここは、世界の‘びじゅつ’を、井上涼さんの歌とアニメで紹介する番組、「びじゅチューン!」(NHK Eテレ)で取り上げた作品をテーマに、複製や映像をつかった「なりきり」体験が楽しめる、期間限定の特別な美術館です。
3つあるコーナーのうちの最後が《おじゃまします八橋蒔絵硯箱》。国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)」を17倍の大きさでつくり、「おじゃましまーす」とのぞき込むように内側を眺める、迫力あるコンテンツです。
発想のもとになっている「八橋蒔絵螺鈿硯箱」は、江戸時代に活躍した画家、尾形光琳(おがたこうりん、1658-1716)の作品です。筆や硯、紙などをいれる硯箱にあらわされた板橋とかきつばたのモチーフは、『伊勢物語』に登場する八橋という場所にちなんだもの。
「なりきり日本美術館リターンズ」の会場でも、床に貼られた八つの橋を渡って、巨大硯箱に近づいていきます。
会場に一歩足を踏み入れると、巨大な硯箱に度肝を抜かれることでしょう…。まるで自分が小さくなってしまったみたい!
会場にはほかに、タブレット上で橋やかきつばたの花を配置してオリジナルの硯箱をデザインできる「うるし体験」というコーナーもあり、さまざまな角度から「八橋蒔絵螺鈿硯箱」の世界に触れる展示となっています。
タッチ操作で、かきつばたや橋を配置し、自分だけの「八橋蒔絵螺鈿硯箱」がデザインできます。
実際に巨大硯箱をのぞき込むことは、トーハクに来ていただかなくては体験できないのですが、ここでは八橋蒔絵螺鈿硯箱という作品そのものの魅力について、トーハクの研究員、福島さんにお話を聞いてみます。
福島修主任研究員の専門は漆工芸。
福島さん、今日は八橋蒔絵螺鈿硯箱とはどんな作品か、どう見たらよいか、その魅力についてお聞かせください。どうぞよろしくお願いします。
―さっそくですが、福島さん、八橋蒔絵螺鈿硯箱は好きな作品ですか?
あのー、教科書でみたイメージが強くて、じつはそんなに好きでもなかったんですけど(笑)、実物をよく見ていると、やはりいろいろなところで、人を引き込む魅力のある作品だなって思い始めました。螺鈿と金蒔絵と鉛との、素材の組み合わせが、抜群にセンスがいいと思います。離れたところからケースに展示されているのを見ても、素晴らしくいいプロポーション。蓋と身のバランスが絶妙だなと。
―八橋蒔絵螺鈿硯箱は、どの角度から見たらいいのでしょう?
側面はもようが連続しているので、1か所からではなく、ぐるっと回りながら、橋で分割された空間を、花の輝きがリズミカルに連なっていく配置だとか、そういうところを楽しんでいただけるといいかなと思います。
―連続する箱の面を意識しているデザインということですか?
光琳がどれだけ立体ということを意識していたかは難しいところですが、下絵はぜんぶ平面上で処理しているので、基本的には平面の人なんだと思うんです。
この作品は、1か所からの視点ではなくて、橋は真上から、花は真横から見たりしているように、ピカソのキュビズムみたいに、平面のデザインを箱の上に組み合わせて全体を作っているようなところがあって…。
箱としてみると、それぞれの面で、鉛の橋をどう配置するかということを十分に意識してデザインしているんだと思います。でも、立体になった時にも、すごくいい位置にアクセントとして鉛の橋がばしっと来るんですよ。
―下絵では、上の面と横の面を、それぞればらばらに紙に描くんですか?
いえ、今、なりきりの会場でやっている「うるし体験」のように、展開図で描きます。光琳は、こういう箱のデザインの場合、基本的には正面、つまり短辺のひとつの側面と蓋の上の面を連続する絵にして、そこからほかの側面へつなげていくんです。
「八橋蒔絵螺鈿硯箱」のもようを展開図でみると、ひとつながりの風景になっていることがよくわかります。
どこから見ても鉛の橋がすごくいい位置に来るというのは、ぐるっと回って見るとよくわかると思うんですけど。平面で図を描きつつ、立体で見た時のことも考えて、どこにアクセントが来るかを計算する。相当苦心して考えたんじゃないかなって。
光琳が大きな影響を受けたといわれる本阿弥光悦*(ほんあみこうえつ)の国宝「舟橋蒔絵硯箱」も、上から見てばしっと決まる構図ですが、横から見ても、山型の中に鉛の部分がすごくきれいな配置で入るんです。そういう、立体の工芸品を作る時のデザイン感覚を、光琳は光悦に学んでいるんじゃないかなと思います。
*本阿弥光悦:安土桃山から江戸時代初期にかけて活躍した芸術家。その100年後に生まれた光琳は、光悦に大きな影響をうけました。
国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 東京国立博物館蔵
高く山型にもりあがった蓋に、舟と、その上にかかる橋がクロースアップであらわされています。
―箱の内側に波があって、外側に橋がかかっている。内と外の関係が面白いデザインですね。
硯箱では、たとえばひとつの和歌をモチーフにしていても内と外でちがう場面を描いたり、イメージを関連づけることを伝統的にやります。
ただ、八橋の場面のモチーフを、橋とかきつばたは外側、波は内側に分けて描き、両面でイメージを完成させるっていうのは、たいへん独創的と思います。
かきつばたと橋は箱の外側だけに、水は箱の内側だけにあらわされています。
内側に波があるというイメージが、一度開けてみると箱の外からみても残るので、そのイメージと一緒に箱を使うということなんでしょうね。
「うるし体験」で完成した漆の箱の蓋がぱかっと開くCG映像がありますが、展示室でもああいうふうに展示できるといいなと思いますね。内側にある波の線の素晴らしさを見てもらいたいです。
展示室では見ることのできない状態をCGで表現。
―橋を鉛で、かきつばたの花を螺鈿でと、いろいろな素材を使っていますね。
花のぎざぎざになったところも、自然な感じで貝を割っていて、それを漆の中に埋没させないで飛び出させているから、花のひとつひとつに存在感がありますよね。
貝の色は、現実のかきつばたの花とは全然違います。金蒔絵であらわされたかきつばたの葉もそうですね。でも自然に見えちゃうんですよね。
漆工芸で鉛を大きく使うようになったのは、光悦のころからです。光悦は、鉛の素材と、金の平蒔絵の部分と、研がない、艶のないしっとりした漆の風合いとの組み合わせに良さを見出したんだと思うんです。
鉛が引き立て役ではなくて、漆や金蒔絵と等価の存在として画面の中に位置を占めるようになるところが、中世の美意識とは全く違うところですね。
黒漆塗りは、表面をつやつやに仕上げる場合もありますが、八橋は表面を研いで磨いていないから、光を吸収するような、ほんのりあたたかい光が反射してくるような、そういう質感と鉛の色や質感の組み合わせの美しさがあります。これは実物を見ないとわからないところですね。
―八橋蒔絵螺鈿硯箱はなぜ国宝になったのですか?
国宝に指定された時、文化財審議委員だった松田権六がいちばん評価したのが、さきほど述べた研がない仕上げ「塗り放し」だったようです。螺鈿や鉛を貼った複雑な器面を塗り放しで破綻なく仕上げるには、整った環境で優良な漆を使い、高度な技術がなければできない。蒔絵の技術を見ても、箱の内側の端っこのところとか、曲がっているところとかでも、まったくよどみない線でしゅーっとひかれています。
さらに、光琳らしい特徴を備えた優れたデザイン感覚、光悦蒔絵の伝統を継いだ素材の使い方などから、光琳の作品として間違いないだろう、ということになりました。
―え、ではこれ、最初から光琳の作品だとはっきりしていたわけじゃないんですか?
そうなんです。これは、トーハクの最初期の所蔵品のひとつで、記録によれば明治11年のパリ万博にあわせて購入したものです。古い箱には付属品もなく、何も書いてなかったんです。「伝 光琳作」だったものが、国宝指定されたときに「光琳作」になったわけですね。
技術の話がでましたが、光琳自身はデザイナーなので、蒔絵の技術までは持っていなかったと思います。こういうデザインでよろしくっていうことで、作らせたと考えるのが自然です。ただ、この作品では鉛の表面の独特の肌合いをつくるために特殊な薬剤を使っているようなんですが、その配合みたいなメモも光琳は残していて。素材をどう扱うかということにも口を出していたんじゃないかと。当然、技術のこともよくわかっていたと思います。
―びじゅチューン!では八橋蒔絵螺鈿硯箱の中に人が住んでいますが、この発想についてはどう思われますか?
うーん…住めるなら住みたいですけどね(笑)。いや嘘です。住みにくそう…
―なりきり日本美術館リターンズの、巨大硯箱の展示はいかがでしたか?
漆工芸で扱う硯箱とか料紙箱だとか、小さいものなので、内側から見たらどんなふうに見えるかなと思うことはありますが、まさかやっちゃうとは思いませんでした。箱の内側にある波のイメージをオーバーラップさせながら全体を見てもらうというのが、作者が期待した見方なんだろうと思います。そういうのが、この展示だと分かる。開けた時と閉じた時が、内側から同時に見られる、そういうふうに作品を見なおすことができるというのは、うまい見せ方の工夫だと思います。
私たちが小さくなって硯箱の内側から見ると、こんなモチーフの重なりが見えるかもしれません。
言わせてしまったようですが…(笑)、福島さん、ありがとうございました。
インタビューはここで終わり、
なりきり日本美術館リターンズでは、今回取り上げた国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱」以外に、重要文化財「風神雷神図・夏秋草図屏風」、国宝「松林図屛風」をテーマにしたコーナーで構成されています。会期は12月6日まで。トーハクに、美術を楽しみにきてください。
親と子のギャラリー
「トーハク×びじゅチューン!なりきり日本美術館リターンズ」
日時:2020年10月27日(火)~ 12月6日(日) 9:30~17:00(金・土曜日は21時まで開館)
会場:東京国立博物館 本館 特別5室・特別4室(台東区上野公園13-9)
休館日:月曜日、11月24日(火) ※ただし11月23日(月・祝)は開館
主催:東京国立博物館、文化財活用センター、NHK
料金:総合文化展観覧料金(一般1,000円 大学生500円)でご覧いただけます
※東京国立博物館への入館にはオンラインによる事前予約が必要です。詳細はトーハクウェブサイトをご確認ください。
※会期、開館日、開館時間、入館方法等については、諸事情により変更する場合がありますので、展覧会特設ページでご確認ください。
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- 2020年11月27日 (金)