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古河歴史博物館「国宝参上。」展を振り返る

2020年に開館30周年の節目を迎えた古河歴史博物館。

今年度の東京国立博物館収蔵品貸与促進事業のひとつである「国宝参上。―鷹見泉石像と古河ゆかりの文化財―」展が2021年1月9日(土)から開催され、東京国立博物館(トーハク)からは、古河藩家老を描いた国宝「鷹見泉石像」(渡辺崋山筆)など、地元ゆかりの文化財15件をお貸し出ししました。

国宝「鷹見泉石像」は83年ぶりの”里帰り”として大きな注目を集めていましたが、茨城県独自の緊急事態宣言発令を受け、残念ながら、1月17日(日)に僅か8日間で閉幕を迎えました(当初の会期は1月9日~2月7日)。

このブログでは、幻の展覧会となった「国宝参上。」展をご覧になれなかった方に向けて、本展の見どころをお届けします。

▷「国宝参上。―鷹見泉石像と古河ゆかりの文化財―」の開催概要をみる


古河歴史博物館に設置された「国宝参上。」展の看板


「国宝参上。」展会場入口からのぞく、古河出身の絵師・河鍋暁斎が手掛けた絢爛華麗な「花鳥図」が目を引きます。

「埴輪 大刀をもつ男子」から展覧会がスタート。


「埴輪 大刀をもつ男子」古墳時代・6世紀、茨城県古河市高台2号墳出土、東京国立博物館蔵

僅かに口角を上げた、穏やかな表情が特徴的な埴輪男子。
古河市の記録によれば、本作は明治43年(1910)の大水害によって出土したとのこと。この伝承にのっとれば、およそ111年ぶりの”里帰り”を果たしたといえます。

続いて、旧古河城頼政廓から出土した板碑(いたび)6件がずらりと並ぶコーナーは壮観です。


「板碑」鎌倉時代・14~15世紀、茨城県古河市立崎頼政廓跡出土、東京国立博物館蔵
大正元年(1912)、河川改修工事に伴う発掘調査の際に発見。

板碑とは死者を追善する石製の供養塔のことで、法華経の偈文(げもん=詩)や、阿弥陀如来を象徴する種子(しゅじ=文字)が刻まれています。

板碑を支えるウレタンと展示台は本展のために特別に作成されたもの。ウレタンは板碑の形状に沿った加工がなされているため、その造形を捉えやすい展示手法となっています。

時代はやや下りますが、幕末明治に活躍した古河出身の絵師、奥原晴湖(おくはらせいこ、1837~1913)と河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831~1889)の作品も、本展で一堂に会しました。


(左)奥原晴湖筆「山水」明治7年(1874)、東京国立博物館蔵
(右)奥原晴湖筆「枯木群鳥」明治16年(1883)、東京国立博物館蔵

トーハクからは、「これぞ晴湖!」ともいえる、闊達で躍動感に富む筆遣いが見どころの「山水」と「枯木群鳥」をお貸し出し。


奥原晴湖筆「墨堤春色図屏風」明治20年(1887)、二曲一双、古河歴史博物館蔵
はじめ、長谷川邸の襖絵として制作され、その後、屏風装に改められたとのこと。

その一方で、明治20年(1887)に越後の豪農、長谷川家の依頼を受けて描いた「墨堤春色図屏風」(古河歴史博物館蔵)では、桜咲く墨田川の情景を緻密で穏やかな筆致で描写しており、晴湖の幅広い画風を楽しむことができました。

近年、ますます人気が高まっている暁斎。


(左)河鍋暁斎筆「花鳥図」明治14年(1881)、東京国立博物館蔵
(中央)河鍋暁斎筆「稔秋冨嶽図」明治4年(1871)以降、古河歴史博物館蔵
(右)河鍋暁斎筆「山姥」明治17年(1884)、東京国立博物館蔵

トーハクからは「山姥」と「花鳥図」をお貸し出し。いずれも国内外の博覧会出品を目的に描かれた作品で、暁斎も並々ならぬ気合が入っていたのか、その描き込みには鬼気迫るものがあります。


河鍋暁斎筆「花鳥図」明治14年(1881)、東京国立博物館蔵

暁斎筆「花鳥図」は、竜胆(りんどう)や山茶花(さざんか)など、その美しい草花も見どころですが、雉に巻きつく蛇に注目してみると…

鱗の一枚一枚に彩色が施され、光を受けてつやめく蛇のからだを生々しく描写しています。


葛飾北斎筆「雉子と蛇」江戸時代・19世紀、団扇絵判 錦絵、東京国立博物館蔵
※「国宝参上。」展には出品されていません。

「雉に絡みつく蛇」という画題は、おそらく葛飾北斎筆「雉子と蛇」から影響を受けたものと考えられますが、暁斎が実際に目撃した場面だという伝承も残っています。

こちらは、大名の婚礼調度と考えられている「若松桜蒔絵化粧道具」。金銀の平蒔絵が美しく、見ているだけで心華やぎます。

「若松桜蒔絵化粧道具」江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵

確かな伝来は未詳ですが、古河藩主・土井家の家紋「六つ水車」が施されていることから、「国宝参上。」展では「土井家のお姫様の化粧道具である可能性が高い」ものとして紹介されていました。

最後に、83年ぶりの”里帰り”で話題となった国宝「鷹見泉石像」をご紹介いたします。


国宝 渡辺崋山筆「鷹見泉石像」江戸時代・天保8年(1837)、東京国立博物館蔵

「天保鷄年槐夏望日寫 崋山渡邊登」の款記から、天保8年(丁酉)4月(槐夏)15日(望日)の作と考えられています。
国宝保存法における国宝指定は昭和24年(1949)。描かれてから僅か約110年後に国宝となった稀有な作品でもあります。また、絵画部門において最も時代の新しい国宝としても有名です。

像主の鷹見泉石(たかみせんせき、1785~1858)と絵師の渡辺崋山(わたなべかざん、1793~1841)は同じく洋学研究を志した人物で、オランダの銅版画を貸し借りするなど深い仲にありました。

友人の手による肖像画とも位置づけられる作品ですが、武士の礼服である素襖(すおう)を纏った泉石の佇まいは凛としており、画面にはある種の緊張感が漂っています。
昭和13年(1938)にトーハクの前身、東京帝室博物館の所蔵に帰すまで、本作は鷹見家で代々守り伝えられてきました。
古河歴史博物館が所蔵する「鷹見家歴史資料」のうちには、トーハク所蔵となる以前の「鷹見泉石像」に関する資料が含まれています。


「大槻磐渓書状」安政6年(1859)6月7日、古河市指定文化財 鷹見家歴史資料、古河歴史博物館蔵

例えば、蘭学者・大槻玄沢を父に持ち、鷹見泉石と交流のあった大槻磐渓(おおつきばんけい、1801~1878)が、「鷹見泉石像」への着賛を申し出る内容が記された「大槻磐渓書状」は大変興味深いものです。
現在、本作に画賛は認められないため、何らかの事情で磐渓による着賛は実現しなかったのでしょう。


「日英博覧会古美術品取扱規則」明治42年(1909)8月21日、古河市指定文化財 鷹見家歴史資料、古河歴史博物館蔵

また、「鷹見泉石像」は明治43年(1910)、日英博覧会出品のために海を渡り、英国・ロンドンで展示されました。その際の「古美術品取扱規則」も鷹見家歴史資料として残っており、博覧会の歴史を辿る上でも重要な資料といえます。
こうした「鷹見家歴史資料」と国宝「鷹見泉石像」を交えた展示は、古河歴史博物館でしか実現できない特別な展覧会でした。

なお、古河歴史博物館では、トーハクからのお貸し出し作品を中心に掲載した図録『国宝参上。-鷹見泉石像と古河ゆかりの文化財-』(1冊300円、16頁フルカラー)の通信販売が開始されています。

 

 

図録の通信販売お申し込み方法は、古河歴史博物館公式サイト[https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/lifetop/soshiki/rekihaku/top.html]をご覧ください。

やむなく8日間で閉幕を迎えた「国宝参上。」展。
このブログを通じて、少しでも展覧会のエッセンスをお伝えできていれば幸いです。

関連動画のご紹介

茨城新聞社によるインタビュー動画。「国宝参上。」展の会場風景がご覧になれます。
https://youtu.be/d-JssT6JqEw

「国宝参上。」展会場で流れていた動画「鷹見泉石像」修理の記録。YouTubeでご覧になれます。
https://youtu.be/CfC2_j3aK34

国宝参上。
-鷹見泉石像と古河ゆかりの文化財-

2021年1月9日(土) ~ 2021年2月7日(日)

※茨城県独自の緊急事態宣言を受け、1月17日(日)で閉幕しました。

古河歴史博物館(〒306-0033 茨城県古河市中央町三丁目10-56)

公式サイト https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/lifetop/soshiki/rekihaku/top.html

公式Twitter https://twitter.com/koga_city_m

カテゴリ: 文化財の貸与