ぶんかつブログ

ぶんかつ保存担当のコロナ禍のあの頃を少し振り返ってみます

保存担当の吉田です。
真冬本番らしい寒い日が続いていますが、上野公園も東京国立博物館〈トーハク〉も連日、多くの人びとが訪れ、思いのままに楽しんでいます。これは、遊興の地である上野の日常なのですが、まるでウソのように静まり返っていた長い時期がほんの数年前にありました。いわゆる「コロナ禍」が猛威を振るっていたあの頃です。今回は、保存担当の業務のあの頃を少し振り返ってみようと思います。


令和2年(2020)10月26日に撮影した、トーハク正門から見た上野公園の様子。
この時は緊急事態宣言は出ていませんでしたが、人の姿はまばらでした。

令和2年(2020)1月に国内初の感染者が確認された新型コロナウィルス感染症。その急激な拡大により、トーハクは2月26日より、また全国のミュージアムも「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づく最初の緊急事態宣言が4月16日に全都道府県に拡大されるまでの間に次々と臨時閉館に入ることを余儀なくされました。
しかし、公開は中断してもコレクションの保存管理はミュージアムの日常業務として続けなくてはなりません。私たち保存担当も在宅勤務が増える状況の中で、環境管理に関する相談対応を行ないました。ただ、県を跨ぐ移動自粛のため、必要性を認識しながらも速やかな現地調査がかなわない事例もありました。

また、4月23日より、ミュージアムでの感染防止対策についての相談窓口を文化庁、東京文化財研究所〈東文研〉と共同で開設しました。前述の相談対応は日常の業務の継続ですが、こちらは、当時はいつまで続くか誰にも分からなかった「非日常」に対応する業務でした。開設当初より、主に再開館後の感染対策に関する相談が多く寄せられ、基本的には他の施設等と同じく、マスク着用と手指消毒の徹底、いわゆる「3密」の回避、室内の十分な換気が必須とし、その上で各ミュージアムの個別の状況に応じた助言を行ないました。また、職員や来館者に感染者がいることが明らかになった場合には、7日間の施設閉鎖(ロックアウト)を進言しました。これは、表面付着したウイルスが最大7日間は活性を持つという当時の知見に基づくものでした。これと並行して保存担当では、市販される消毒薬剤成分の文化財への影響評価を行ないました。

〈ぶんかつ〉が行なう保存環境管理に関する研修会や講習会にも少なからぬ影響がありました。
令和2年から3年の間に、東京都では4回の緊急事態宣言が発出されましたので、開催を予定していたものの、中止や延期となったものもありました。幸い開催となったものに関しても、万全の感染防止対策を講じる必要がありました。まず、会場の広さに比して、参加者数をかなり抑制せざるを得ませんでした。
その上で、講師と参加者の間のアクリル板の設置、マイクなどのこまめな消毒、換気扇やサーキュレータの常時稼働による換気などを行ないました。換気量については、二酸化炭素濃度1000ppm以下を保つことがひとつの指標とされていたので、リアルタイム計測による確認を行ないました。夏や冬の開催では、室温にも気を配る必要がありましたが、幸いにも二酸化炭素濃度が1000ppmを超えることはないことが分かり、安堵したことを覚えています。


令和4年(2022)1月の「博物館・美術館等保存担当研修(基礎コース)」のひとこま。
この時の筆者はフェイスガードを付けて講義を行なっていました。


換気量の確認のために二酸化炭素濃度を計測しながらの研修会でした。


令和4年(2020)8月に開催した研修会と講習会会場での二酸化炭素濃度推移の記録(緑線)です。
人のいる時間帯は濃度が上昇していますが、幸いにも1000ppmには達しませんでした。

ここまで、当時の記録や記憶を辿りながら書き連ねてみました。
最後となる4回目の緊急事態宣言が解除された令和3年(2021)9月30日以降はさまざまな制約が緩和されましたが、ミュージアムの日常業務である保存環境管理を側面から支援することが日常業務である我々にとって、これを十分に果たせない長い期間があったことは不可効力とはいえ、やはり心残りといえるものでした。

今はすっかりコロナ禍前の日常に戻ったような毎日です。早くもコロナ禍が歴史として展示されている地域のミュージアムもあります。この日常が続くことを願うばかりですが、もしかして、再び訪れるかもしれない「あの頃」のためにも、この経験を継承することはとても重要です。私もいずれは誰かに代替わりしますので、時々はこのように思い出しながら、当時の対応を検証していかなければならないという思いで、今回のブログのテーマといたしました。

カテゴリ: 文化財の保存